私は貝になりたい(フランキー堺主演)
1958年10月31日 TBS放送
伝説のドラマだと聞いていました。
TBSの開局何十周年だかのときに、名作ドラマの名シーンだけを集めて放送したことがあり、その時「私は貝になりたい」の最後のシーン、主人公が絞首台に向かっていくところを見ました。あの有名な「今度生まれてくるときは人間になど生まれたくありません・・・私は今度生まれてくるときは貝になりたい」のモノローグが流れていました。
1度、このドラマを見たいものだと思っていました。
何年かのちに再放送され、見ることができました。
地方の床屋さんだった主人公(フランキー堺)が赤紙で召集され、中国大陸で中国人を殺せと命令されて嫌々実行し(したのかな?それはぼかしてあったような気がするのですが)、戦争が終わって復員してやれやれと床屋の普通の生活に戻ったのもつかの間、その時の捕虜虐待の罪で戦犯として東京に連れて行かれてしまうのです。
法廷では英語のわからない一市民の主人公は、ろくに弁明すらできません。
また日本人の悪い癖。ことさら言い訳したくない、言ったってわからない。日本人だったら言わなくてもわかるんだろうに・・・というあきらめがでてしまうのです。
そして出た「死刑判決」
同じような境遇の人たちが入れられている戦犯の刑務所。
辞書を引き引き、英語で嘆願書を書く人もいる中、主人公はハナからあきらめています。
なんで自分が死刑なのか?
命令に従っただけなのに。
命令に従わなければ自分が殺されていたのに。
そして、学のない自分には英語で嘆願書を書くことなどとてもできないし、なんでそんなことをしなければならないんだというふて腐れていたようにも思います。
次々と刑が執行されていき、それを見送る戦犯たち。
その中で、ある噂が流れます。
この間、刑の執行で連れて行かれた○○さんを外で見た人がいる。
アメリカは刑を執行したと見せかけて、ひそかに恩赦で釈放しているらしい。
それを真に受けた主人公は希望を持ちます。
死刑判決を受けたことをやっと知って、びっくりして飛んできた奥さんにも、大丈夫だから、そのうち出られるから、というのです。安心させるつもりではなく、本当に本人もそれを信じていたのです(たしか、そうだったと思う)
そしていよいよ主人公が呼び出しを受けます。
釈放されると信じている他の房の人たちは、喜びの声をあげ(おめでと~のような)主人公も「ありがとう」というようにその声に応えて房を出て行きます。
しかし、待っていたのは執行の宣告。
教戒師さんがいて、最後の食事が用意されています。
釈放されるなんていうのはただのデマ。
自分はやはり死ぬんだということがやっとわかるのです。
遺書を書きます(食事の前か後か覚えていないけど)
あの有名な「私は今度生まれてくるときは・・・・」のあのセリフ。
そのモノローグの中、絞首台に向かって階段を一歩一歩上がっていくのです。
再放送されたのがいつだったのか覚えていないのですが
強烈な印象が残っています。
なによりも、刑の執行は建前で本当は釈放されるんだ、助かるんだと信じていたのに、それがデマでやはり死刑になるんだとわかった瞬間がたまらなかったです。
だったら、最初から死刑になると覚悟を決めていたほうがどれだけよかったでしょう。
(死刑になること自体がひどすぎますが)
そして、このドラマを見て
「英語は勉強しておかなければならない。自分の身を守るために、自分のいいたいことはきちんと主張できなければいけない」
と思ったのでした。
その時まで、
BC級戦犯というのは死刑にならなかった人たち
A級戦犯というのが死刑になった人たち
だと思っていました。
だから、この主人公のこともA級戦犯だと思っていたかもしれません(お恥ずかしい)
のちにTVで「東京裁判」を見て、初めてA級戦犯とBC級戦犯の違いを認識しました。
知らないのも恥ずかしいけど、学校の授業でもそんなことはやらなかったし・・・(←言い訳)
私は貝になりたい(所ジョージ主演)
1994年10月31日 TBS放送
記憶に残っていたフランキー堺主演のモノクロのドラマとほとんど同じだったと思います。
これは、しっかりリアルタイムに放送を見ました。
改めて、戦争の無残さに涙しました。
私は貝になりたい―あるBC級戦犯の叫び
1994年のドラマを見たあとしばらくしてから、図書館で本を見つけ読んでみた。
この本は2005年8月刊(再刊したらしいです)なので、その前の著書、もしかしたら
『狂える戦犯死刑囚』
だったのかもしれない。
記憶に残る「私は貝になりたい」とはかなり違う内容に面食らった覚えがある。
ドラマの主人公は、普通のおじさん(おじさん、は気の毒かな?)で、どちらかといえば教養もなく、だからこそ、ちゃんとした主張もできずに死刑になってしまう人だったのに、原作者は英語も理解できて、なにより死刑にならずに生きている!!
ただ、死刑囚として巣鴨プリズンにいて、他の戦犯死刑囚が刑をまぬがれるために精神病院に入ったりしていたことなどを書いていたのがリアルだった。
戦記念特別ドラマ・真実の手記 BC級戦犯 加藤哲太郎 私は貝になりたい(中村獅堂主演)
2007年8月24日 日本テレビ
上記の本に沿った内容だったように思います。
以前のドラマとはストーリーも結末もかなり違いましたね。
高等教育を受けることもなく一兵卒として戦地に行った人たちは、わけもわからず戦闘に駆り出され、消耗品扱いされ、自分がいったいどんな役割をしているのかもわからないまま命令どおりに動き、そして死んでいきました。運よく生き残っても、ドラマの主人公のように戦犯として処刑されていく人もいました。
それは哀しいことです。
でも、なまじ高等教育を受けていた人は、そしてなまじ一兵卒よりもちょっと上で少しは戦局だの自分たちが置かれている立場を理解できる人たちは、またそれなりの苦しみがあったのだなと思いました。
映画「東京裁判」でも、部下の罪をかぶって自分が処刑されたBC級戦犯(上官や同期の罪をかぶった人もいたらしいですが)がいたと言っていました。
加藤哲太郎さんは、幸いにも英語が多少理解でき、また妹が兄を救い出すために奔走してくれます。それで助かることができました。なにより哲太郎さんの生きる意志があったからですが。
救われたような気がしました。
が、その陰には、前2作のドラマのように処刑された人たちがいたことも忘れてはいけないのだと強く思います。