八王子 平和・原爆資料館は、八王子市にあるのですが(八王子市役所の目の前)
意外と八王子市民に知られていません。
むしろ、市外の人に知られていたりして。
ひょんなことから、八王子市で仕事をするようになりまして
講座をひとつ担当させてもらいました。
八王子で活動する団体さんを、市民のみなさんに紹介する
という主旨のアクティブ市民塾です。
今回は、八王子 平和・原爆資料館をとりあげさせていただきました。
・なぜ、八王子に原爆資料館があるのか?
・血染めの制服のお話し(親族より)
・広島被爆者のお話し(八王子市在住被爆者)
・他展示品について、当時の広島の状況について
など、中身の濃い2時間を過ごさせてもらいました。
血染めの制服は、広島で建物疎開の作業をしていた
広島二中の豊島長生くんが着ていた服です。
豊島長生くんの妹さんが八王子にお住まいで
八王子 平和・原爆資料館に服を寄贈したそうです。
そして、語り部活動をされていました。
東京にいると、広島・長崎は遠い。
原爆資料館にも、おいそれとはいけません。
そんな東京、関東近郊の人たちにも原爆のことを知ってほしい
そんな思いだったのでしょうね。
妹さんは残念ながら今年の3月に亡くなりました。
今はその息子さんが、お母さんの意思を継ぎ
語り部活動をしています。
今年は戦後80年ということもあり
取材も多く受けているそうです。
この日も広島テレビのカメラが入っていました。
血染めの制服の実物を見せながら、
長生くんの人となりなど、身内にしか語れないような貴重なお話しを
してくださいました。
ボロボロの制服をまじかに見て、そしてお話しを聞いていますと
本当に1人1人、生活があり、未来があり、人生があった人たちが
原爆で犠牲になったのだな、と考えさせられます。
3歳の時に広島で被爆した、八王子市在住の上田さんは
30分間の時間中、立ったままお話ししてくださいました。
1番心に残っているのが、「報復は考えない」という言葉です。
被爆者の方って、本当にすごい。
こんな悲惨な経験をするのは、自分たちで最後にしたい!
というその思いだけで、核兵器廃絶のために活動されているんです。
最後にお話ししてくださった方は、一般的な説明を。
おひとりおひとりの話しも貴重ですが
全体像がわからないと、本当には伝わりませんね。
建物疎開のための作業をしているときに被爆した、
なんて言ってもピンとこないと思うんです。
そのあたりをお話しいただいて、ありがたかったです。
そして具体的に説明をしてくださいました。
広島原爆がさく裂したのは、爆心地の上空600m
スカイツリーの高さがムサシで634mですよね。
それを教えてもらったら、スカイツリーを見るたびに
あのあたりでさく裂した?と想像することができます。
本当に貴重なお話しを聞くことができました。